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佐々木朗希の高校は大船渡で大阪桐蔭を断った【3つの理由】

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・このサイトで1分でわかること
✅佐々木朗希の高校は?
✅大阪桐蔭を断った【3つの理由】
✅もしも大阪桐蔭に行っていたら?
 
 
現在千葉ロッテマリーンズで活躍する、佐々木朗希選手
 
 
 
 
生年月日2001年11月3日
出身地岩手県陸前高田市
身長190cm
体重85kg
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2019年 ドラフト1位
 
 
高校時代に高校生歴代最速の163キロをマークするなど、プロ入り前からかなり注目されていましたよね!
 
 
そんな佐々木選手ですが、4月11日にオリックス戦で完全試合を達成しました!
 
 

 
 
13者連続三振。1試合19奪三振。最年少完全試合達成の3つの記録を打ち立てたことでかなり話題を集めました。
 
 
まだ20歳でこのピッチングなので将来とんでもないピッチャーになりそうですね。。
 
 
今回はそんな佐々木投手の高校についてと、なんとあの大阪桐蔭からの推薦を断っているという過去について詳しくまとめていきたいと思います!
 

佐々木朗希の高校は?

 

大船渡高校

 

佐々木選手の出身高校は岩手県の大船渡高校です。

 

高校時代には1年夏の大会で公式戦デビューをしてその時点で147キロを計測しています。

 

そして2年生秋の大会では高校2年生史上最速タイとなる157キロを計測しました。

 

そして大きな話題を集めるきっかけとなったのが、2019年4月6日に佐々木選手は高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦で、非公式ながら中日ドラゴンズのスカウトのスピードガンで163キロを計測したことです。

 

大谷翔平選手が持っていた、当時高校生の最速記録である160キロを3キロ上回ったことで、かなりの注目を集めました。

 

同世代では、奥川恭伸選手、西純也選手、及川選手と共に『高校BIG4』と称されていました。

 

3年夏の県大会ではエースで4番として活躍し、公式戦でも高校生投手史上最速の160キロを計測しました。

 

しかし、予選決勝にて大船渡の國保陽平監督が故障予防のためという理由で佐々木選手の出場を回避させるのですが、チームは敗れることになります。

 

登板回避問題

 

これに対して多くの批判を集めることになり、野球関係者や評論家の間でも連日議論になりました。

 

2019年7月30日に行われた岩手県予選の決勝戦にて、佐々木選手は前述のように登板することなく花巻東高校に2−12で敗れることになり甲子園出場を逃します。

 

國保監督は「3年間で一番壊れる可能性があると思った。故障を防ぐためですから。私が判断しました。」とコメントを残しましたが、この登板回避に対して大船渡高校には2日間で250件もの苦情が殺到したそうです。

 

特に注目された発言はサンデーモーニングにおいて張本勲さんが残したこのコメントです。

 

絶対に投げさせるべきだった。監督と佐々木のチームじゃないですよ。チームの選手は1年生から3年生まで必死に練習して、甲子園が夢なんですよ。

 

この発言に対して、あのダルビッシュ有投手はTwitterでこんなコメントを残します。

 

シェンロンが1つ願い事を叶えてあげるって言ってきたら迷いなくこのコーナー(サンデーモーニング)を消してくださいという。

 

これらは一部の意見ですが本当に多くの賛否両論の意見が飛び交い、この出来事はその後も高校野球の投手の起用法であったりトーナメントにおける戦術に関する議論に置いて引き合いに出されるなど、野球界に大きな影響を与えることになりました。

 

ちなみに佐々木選手自身は「監督の判断なので、しょうがないです。高校野球をやっていたら、試合に出たい。投げたい気持ちはありました。」と答えていました。

 

この結果、現在でも大きな故障なくプロ野球選手として活躍できているので、個人的には監督の判断は間違いなかったのではないかと考えています!

 

2019年10月1日に佐々木選手はプロ志願届を提出して10月17日のドラフト会議にて4球団競合の1位指名の末、千葉ロッテに入団することになりました。

 

そんな高校時代を送った佐々木選手ですが、中学時代にはあの大阪桐蔭高校からスカウトがあったという話も!

 

なぜ誘いを断り、大船渡高校にいくことになったのか次でまとめていきます。

 

大阪桐蔭を断った【3つの理由】

 

大阪桐蔭を断ったのは以下の3つの理由だと言われています。

 

✅中学時代の同級生と野球がしたかったから
✅地元の高校で甲子園を目指したかったから
✅公立でも甲子園に出られるというのを自分で証明したかった
 
佐々木選手は中学時代は大船渡市立第一中学校の軟式野球部に所属していました。
 
 
中学2年生の時からエースナンバーを背負って活躍をしており、3年生になる直前の2016年春に腰に疲労骨折が判明し、その後半年近くリハビリ生活を送っています。
 
 
その影響で3年生の時には本大会の出場はできませんでしたが、秋に参加した地域で結成した「オール気仙」にて岩手大会で優勝、東北大会で準優勝し全国大会に出場しています。
 
 
この大会にて佐々木選手は軟式ながら141キロをマークしています!
 
 
中学時代から140キロを超えるストレートで話題になっていたため、大阪桐蔭をはじめ多くの甲子園常連校から声がかかっていたと言われています。
 
 
 
 
しかし、佐々木選手は大船渡第一中学時代から一緒にプレーしている同級生たちと一緒に野球がしたい!という理由で大船渡高校への進学を決めます。
 
 
被災地の野球チームに所属していて、地元の高校から野球で被災地を盛り上げたいという思いも強かったみたいですね!

 

もしも大阪桐蔭に行っていたら?

 

ではもし佐々木選手が強豪校である大阪桐蔭高校に進学していたらどんな活躍をしていたかどうしても気になってしまいますよね。

 

1年生の時から甲子園に出場してスターになっていたかもしれません。

 

しかし、私はもし大阪桐蔭に進学していたら今のような活躍はしていなかったかもしれないと考えたことがあります。

 

大阪桐蔭は全国からすごい選手を集めているため、もしかしたら才能が埋もれてしまっていたかもしれません。

 

特に2018年時の3年生にはスター選手が揃っていて層が厚かったため、もしかしたら控えとなっていた可能性も。

 

もちろん強豪校ならではのトレーニングや設備などで、大きな成長を遂げる場合もあります。

 

しかし、前述したように大船渡の國保監督が佐々木選手を大事に育ててきたからこそ、今のような活躍ができていると私は思います!

 

まあ、たらればの話をしてもしょうがないのですが、強豪校での佐々木選手も見てみたかったですね。

 

最後にまとめを見ていきましょう!

 

佐々木朗希の高校は大船渡で大阪桐蔭を断った【3つの理由】のまとめ

 

佐々木朗希の高校は大船渡で大阪桐蔭を断った【3つの理由】についてはカンタンにまとめると以下のようになります。

 

✅佐々木朗希が大阪桐蔭を断った3つの理由は?
→①中学時代のメンバーと野球がしたかった。
 ②地元を盛り上げたかった。
 ③公立校でも甲子園に行けると証明したかった。
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